2/26/2008

観た芝居のことなど
からっぽの湖
新神戸オリエンタル劇場

久しぶり
劇団四季の『ふたりのロッテ』以来
でもあり
今回の公演の出演者の一人である
片桐仁さんを観るのは
この劇場で観るのは約1年ぶり
無理矢理にでも1年前の緊張感を思い出し

松尾貴史

こだわりを観劇

一人の役者がいろいろな劇団の公演にゲスト出演
参加
するのを
追っかけるのも面白いと思った
演出家によって
役者の印象が変わる部分と
その役者が持つ個性(?)そのもの

わかったような気がしてきた

芝居自体は
・・・
これが難しい
モヤモヤ感がずっとしている

一つには
日曜日に
2日前に劇団四季のミュージカルを観たこと
四季節とも言える独特の発声法
一音一語はっきりとゆっくりと伝える話し方(歌い方)
日常会話としては不自然だけれど
何を話しているかがよくわかる
舞台の言葉
舞台の会話

ミュージカルだったこともあり
全力疾走なダンス
演技もダンスも歌も出し惜しみがない
その印象が強烈すぎたこと

と比べると
え?

思うぐらいゆったりとした雰囲気の舞台
台詞のスピードは日常会話と何ら変わりがなく
そのせいかどうか
最初の一音が聞き取りにくいこともあった
舞台の天井
劇場の天井
空間に響く空気の振動、音
舞台は難しい

ストーリーはもっと突飛なことがあるのかと思っていたら
幅広い客層に対応できるお話
「生き甲斐」にしがみついた人間と
振り回された人間と
「生き甲斐」が見えない人間
が集まって・・・

KKPの『TAKE OFF』と似たようなニオイを感じた
それが
二つ目のモヤモヤ感につながる

最後に彼らが見たのは
失踪中のお父さんが頑張っている姿だったら
とかって
ちょっと思ったけど

みんな
平凡な日常をすっかり変えてしまう
大きな出来事が
自分にも起こるのではないかと
待っている

それが起こったら
自分は別の人生を送ることが出来るのではないか
新しい何かを始められるのではないか

きっかけを言い訳にして

一度決めた拘りを背骨にしてしまったために
簡単には諦められなくて
終わらせることが出来なくなって

なんだか息苦しくなっている
ところもあるのではないでしょうか

拘りがある限り
自分は自分である
というのもしんどい

なくてもしんどい

自分の好きなことのために生きる
より
まず
生きるために生きることを
忘れてはいけないのだと
湖を見つめて思うのかも知れない

あまりにも純粋すぎて
周囲に合わせられない不器用なところが
可笑しくて「笑い」になることで
一心不乱で一生懸命な姿も滑稽に見えることがある

周囲の人間に余裕がなければ不快になる

「笑い」は余裕
自分とは違う生き方を選んでいる人に対して
どれだけ余裕を持って
理解できるか

ユーモアが緩衝剤になれるか

自分と自分の信じる道だけを見ているのではなく
周りの人間を見ることも必要
みんなで生きてるから
という点

「笑い」が中心にあるならば攻撃(残酷な部分)は必要
純粋な人もひねくれた人も
同じように攻撃対象でなければ

『TAKE OFF』は攻撃部分が弱かった

コント師の「笑い」と演劇のバランスに
ちょっとついていけなかった
自分を援護

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