11/27/2005

読了した本
和書:夏の庭-The Friends(湯本香樹実)
 
購入した本
oasisの写真集2冊(和書)
Live Forever
Was There Then

11/25/2005

最近読了した本
夏の庭?The Friends (湯本 香樹実)

借りた本でもあるし文庫としては薄い方だったこともあるし
話の世界に溶け込みやすい雰囲気で一気に読んだ。

11/23/2005

劇団四季 ミュージカル李香蘭
11月23日(水) 12:30開場 13:00開演
京都劇場
劇団四季 ミュージカル李香蘭サイト

李香蘭 野村玲子  
川島芳子 濱田めぐみ
李愛蓮 五東由衣
杉本 芝 清道
王玉林 芹沢秀明

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「昭和3部作」いよいよ京都でもスタート。
「昭和」という時代はこんなに身近な「戦争」の時代だったのかと
悔しくて悲しくて情けなくて・・・といったマイナスな気持ちが
どれに対して誰に対して何に対してという訳ではなく
沸き起こる疑問などもただただ混ざって
胸が閉めつけらる2時間40分だった

「戦争」という言葉に遠い国を思い浮かべている
私にとって
同じ世代の人間が
国を守るため、というより
家族を守るために命をかけて戦った姿は大きすぎた

国を守るために戦った
と思っていたときよりも

このミュージカルを観るまで
国の為に若い命をささげた
という印象しかなく
祖父が兵隊であった事実があるにしてもやはり
遠くの世界の光景だった

自分の国が外国から不当に侵略された時
どんな方法で私は自分を守るのか
家族を守るのか

戦争という行為がおろかである事は分かっているが
避けるべきだということも分かっている

けれど
中国側の若者が日本軍に対して戦った
欧米の支配を阻止するために日本は戦った

ある方向で見れば完全に悪い事なのかどうか
分からなくなる

勝てば本当に正義なのだろうか

勝てば全てが良い行いで
負ければ全てが悪い行い
なのか

自分が生きるために
従う、
他人を押しのけてでも卑怯になる
生き方と
恥じない生き方を貫くために死を選ぶこと

選択できるだろうか

戦争を生きてきた人の心の中は
どれほど複雑になっているのだろうか

その人たちが導き出した答えの上に
私が生きている
はず

ラストで裁判官が歌い上げるシーンがよかった
(歌が上手なので説得力が強く押してくる)
一つの理想
こんな風にもっと歩み寄って・・・
と思うのは日本人の勝手すぎ?

11/18/2005

oasis Japan Tour 2005
11月17日 大阪城ホール
セットリスト
Fuckin' In the Bushes (intro.)
Turn Up The Sun
Lyla
Bring It On Down
Morning Glory
Cigarettes & Alcohol
The Importance Of Being Idle
The Masterplan
Songbird
A Bell Will Ring
Acquiesce
Live Forever
Mucky Fingers
Wonderwall
Champagne Supernova
Rock N' Roll Star

(Encore:)
Guess God Thinks I'm Abel
The Meaning Of Soul
Don't Look Back In Anger
My Generation

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サマーソニック05の時に感じた興奮ほどではなかったけれど
それでも
目の前に本人たちがいるということが
かなり感激モノで涙・涙・(T_T)

ドラムの音が重たかった
野外で聞くより普段のCDより
ずっとずっと重たい感じ
野外の時より近くで聞いていたからか?

oasisのファンになってよかったと思う
と同時に
生まれ変わってもやっぱり絶対
oasisの歌が聞ける時代に生まれ変わって
その歌・音楽を好きになれる感覚を持ち合わせていたい
と思う

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<SET LIST@SUMMER SONIC'05>
TURN UP THE SUN
LYLA
BRING IT ON DOWN
MORNING GLORY
CIGS & ALCOHOL
THE IMPORTANCE OF BEING IDLE
A BELL WILL RING
LIVE FOREVER
THE MEANING OF SOUL
MUCKY FINGERS
CHAMPAGNE SUPERNOVA
ROCK 'N' ROLL STAR
WONDERWALL
DON'T LOOK BACK IN ANGER
MY GENERATION

11/15/2005

「トライやるウィーク」とは別の中学生の見学があった。
「トライ・・・」のほうでは半日就業体験を1週間ほど
するのだが
今回見学に着た中学生は社内見学メインなのか
その辺りの事情は不明だけれど
20分ほど現場での就業体験だった

今回初めて中学生に仕事の内容を教えた
普段は派遣にはさせないのだけれど
わりと忙しい時期で
ぼんやりしていたところ
半ば押し付けのような形で(ーー;)

久しぶりに中学生と接して
肌のツヤとか声の感じに
普段は意識しなかった年輪を感じ
(昔と変わらず同じ調子でいると思っていたのに!)
初対面の年上接する時の態度のぎこちなさとか
こんなに違いを感じるようになったのかと
自分が
もうこんなに年をとってしまったのかと思った
こんな違いを感じる事ができるようになったのかと
思った

学校の先生が
当時
こんな風に見ていたのかと思った

この時期の
反抗期(自分は大人だと思っているし、年上を撥ね付けてみたりの頃)
というのは
通り過ぎれば
こんなにかわいいささやかなものに見えるなんて

思いもしなかった

自分も今それを思っている

そんな事ができるように
なってしまったのか
なったのか

大人が
何もかも分かったように見るのが許せなかったけれど

実際そうなのだから仕方が無い

けれど
あの時の息苦しさまでその雰囲気の中で
忘れてしまいそうになっていた自分に
ちょっと待てよと
止まらせて見た

私は絶対いつまでもあの時の自分に寄り添う側の人間であると
思っていたのに
すっかり消えそうになっていた
今は
そのときの自分を抱きしめてあげる気持ちがある
(「寄り添う」ではなく「受け入れる」
自分の中では違う事なのだけれど
客観的にみれば同じ??)
振り返れば対して大きい辛さでも悲しみでもない
と思えるからで
でもそれは
20年以上生きた中のある1年と見るからであって
14年ほどの生きている続きの
進行形にあるその1年は
明日の不安とそれまでの寂しさや辛さが積み重なって
息苦しくて今日1日を過ごす事が悲しかった
こんなに悲しい時間が
なぜ自分には必要なのか
とにかく学校は息苦しい場所でしかなかった
今でも中学校を見ても息苦しさしか感じない

中学生の時期こそ
学校外の多くの人にさまざまな年代の人に接する時期だと思う
他人と違う事を意識し
他人と同じことを意識する
そして
将来を現実的に考える最初の年齢

そういうときに
(できるだけ多くの人)誰に会ってどんな話をし(話を聞き)
どんな体験をしたか
というのは
将来を踏み固めながら進む上で
必要な事だと思う

今になって思う

自分が狭い世界の中で
誰かと区別したり同じと見なしたりする
一人でいることが悪い事のように見られていた

その視線に耐えられず
一人を楽しむ余裕も無く
ただただ味方がいない心細さばかりで
何度も逃げたけれど
問題を先送りにしただけで
結局向かい合わなければ先に行く事ができず
先に行く必要があるのか無いのか
考え込んだり
同じところで悲しみ続けなければならなくて
そんな事でこれからの長い人生が
縛られるのは嫌だと思った
いつまでもその自分を許していいものか
気が済むまで自分を許したり
許さなかったり

どっちがいいとはいえないままだけれど

ものすごく楽しかったり嬉しい時にふと
あの時
自分の命を終わらせてもいいかと
ヤケクソになっていたことを思い出す
踏みとどまってよかった
と思う
なんであんな事であきらめようと思ったのだろうと
苦笑いができるようになった
なんでそんな事で
と思えるようになって
その傷の大きさがどんどん小さくなっているのは
分かってきた

でも
あの時の悲しみはそのときの自分には人生最大だったことを
忘れてはいけないと思う

どれだけ悲しい思いを抱えているか
その重さを分かっていなければ
あの時の私がまた一人になってしまう
どのときの私が一人であっても
常に今の私がそばにいる
泣きたいなら気の済むまで泣いて
怒りをぶつけたいならそうして

あの時の悲しみが埋まっていくような希望で
新たに覚えた楽しみや幸せを取り込んでいるけれど



高校の友達や本が助けてくれた
特に高校時代に出会った人たちには
すごく感謝をしている

一人を認め合う空気があった
一人でいることも
一人一人何か得意な事(目立つこと)で活躍する事も
足を引っ張るどころか
そういうのを生かして大きなひとまとまりになる
大きく動いていく
そういう学校、特に1年生の時のクラスはそうだった

中学校で一人と大勢という図式を覚え
不安や恐怖もあったので
どう振舞えばよいか方法がなく緊張していた
のだけれど
その緊張もすぐになくなった

マイペースな人が多かったのか?
無関心?というわけではなかったけれど
一人でいる人に対しても
大勢でいる人に対しても
空気が変わることが無かった
それならそうでいいし
突き放したように聴こえるかもしれないけれど
その乾いた感じがよかった

距離

ものすごく仲間を思うのだけれど
どこまでも干渉してくるようなことがなく
基本的には
自分の行動に責任を持っている以上
その人の意志を尊重する

そういう距離

たぶん
中学校を卒業したら
誰もがそうなるのかもしれない

けれど
私の中では相変わらず中学時代の人はそのままなので
会いたいとは思わない
未だに

会いたいのは高校時代に出会った人たち
こちらは負け組なので会いにくいけれど
今の私の(時々冷たいといわれるが)距離のとり方は
マイペースだとやや皮肉気味に言われる事もあるが
それでも気にせずいられるようになったのは
そういう私だからしょうがないと開き直れるには
全く聞く耳を持たないわけではないけれど
「私」を貫けるようになったのは
(「私」「わたし」をしつこく主張している?)
高校時代の人たちのおかげ
この人たちに出会わなければ
今の私が過去の私を認める認めないの話はもっと後になっていただろう

心が狭いコメント




 

11/14/2005

Small Is Beautiful: Economics As If People Mattered : 25 Years Later...With Commentaries(E. F. Schumacher)


1973年、シューマッハーが本書で警告した
石油危機はたちまち現実のものとなり、
本書は一躍世界のベストセラーに、
そして彼は"現代の予言者"となった。
現代文明の根底にある物質至上主義と
科学技術の巨大信仰を痛撃しながら、
体制を越えた産業社会の病根を抉ったその内容から、
いまや「スモール・イズ・ビューティフル」は
真に新しい人間社会への道を探る人びとの
合い言葉になっている。
(amazon.co.jpより引用)
======================
まず、思ったこと。
大学時代に読みたかった
ということ。

よくない例として挙げられる
何を学びたいかという気持ちより
自分の成績で入れる大学ならどこでも
という気持ちで社会科学系を選んだので
入学後、学ぶ意欲はゼロに近かった。

それでもなんとか興味を持とうと
図書館には通った。
けれど
あまりにも関係する本が多く
どの本から読めばよいか分からなかった。

この本に出会う前に卒業した。

大学の先生のせいにしてはいけないとは思っても
大学に入るまでは
高校・中学(小学校も?たぶん)先生が本を薦めてくれた
例えば世界史や日本史であれば
その時代を舞台にした小説・映画、
ノンフィクションのようなものから明らかにフィクションのものまで
ときには評論などノンフィクション

本を読むのは好きだけれど
自分で本を選ぶ時は興味がある文也の本を中心に読む
趣味を深めるための本を選ぶ事が多く
知識を広げる、深める・視野を広げる
といった実用的な目的で読むことはあまりしない
関心の無いジャンルを読むには誰かの薦めが必要だと思う
きっかけは誰かの言葉

高校生までは
先生がいろいろ本を教えてくれた

教えてもらってすぐ
図書館に駆け込みその本を捜して借りるとか
本屋さんで探して購入するとか
行動に出たかといえば
そうでもないが・・・

しばらくたって、
最近の話
あるタイトルを目にした時に
「そういえば、あの時先生がこんな事を話していたな」
と思い出して手にとってみることがある
まだ自分は知らないジャンル・世界(ときどき文章そのものが)
があることを知り、
次のページをめくるスピードを早く早くしてしまう
ページをめくるたびに興奮する
そんな出会いが結構ある
言い換えればようやくその本と自分の波長が合って
読むタイミングを得ることもしばしばあるという感じで

大学でも先生が教えてくれると思っていた
甘い考えではあるけれど
より専門的なことを学ぶのだから

教えてもらって当然ぐらいに考えていた

より学びたいと思えば
自分で捜さなければならなかった
レジュメやシラバス(講義要目)に書かれてある
「参考文献」
を参考にするぐらいで
講義の中で本を薦められる事は無かった
全体が見えて
次に何を読めばいいか
どう考えていけばいいか
きっかけになる本はあるというのに

うちの図書館にも入れてもらえるようになりました

とは仰っても

社会科学系に進むなら必須ですよ
と仰ったのは高校の日本史の先生で
大学の先生は
強く勧めることは無かった

こういう本を薦めて欲しかった
まず最初に
社会科学、特に経済とは(マクロ?)を考える上で
この本はまず全体図を示してくれる

自分が大学時代に取得した単位科目の中で言えば
経済発展論
国際経済論
経済学概論
産業政策論
の基礎がこの本にあった

例え30年程前にかかれてあったとしても

古典さえ教えてくれなかった
自分で学ぶ、道を切り開いていくとしても
といっても道しるべは欲しい

先生の時代は当たり前だったのかもしれないけれど


今回は自分の学生時代の怠慢な生活を他人のせいにしてみた

こういう先生に会いたかった
と思える本

30年程前から問題は提起されていた
さて
今の会社は環境問題にどう取り組んでいる?
企業の環境問題への取り組みを
もう少し注意してみていこうと思った

厚み2.2cm 計141.55cm/332cm

11/13/2005

読了できた本
和書:ローマ人の物語(22)
洋書:Small Is Beautiful

自分でできない場合は
甘えるなといわれても
助言が欲しい

この本をもっと早く知っていて読んでいたら
もう少し大学の授業についていけたと思う

社会科学系の人は
特に経済・経営を勉強する人は
この本をまず読むべき

11/10/2005



「日経ウーマン」の本の特集の時に紹介されていた本の中から
面白そうな雰囲気の本を何冊かリストアップした
海外の本であれば、洋書(英語)で挑戦してみようと
常々思っている事なので今回も実行に移す(荒業)
そのうちの1冊で現在わりと読み進んでいる本

紹介文の中に
「私のメンターは本・・・(以下略)」
とあり
「メンター??」だったのだけれど
(↑お恥ずかしい話ですが、こんな人が英語に挑戦しています)
なんだか惹かれる言葉だと思い
どこかで使えないかと時機をうかがっている

Yahoo!辞書?大辞泉より

メンター【mentor】

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優れた指導者。助言者。恩師。顧問。
信頼のおける相談相手。ギリシア神話で、
オデュッセウスがトロイ戦争に出陣するとき、
自分の子供テレマコスを託した
すぐれた指導者の名前メントール(Mentor)から。
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[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

私には「メンター」というよりは
「友達(フレンド:friend,pal)」の感覚が強い
勉強の為に本を読むということが少ないからだろうけれど

こちらが飽きて離れていっても
心変わりをしても怒らないし
戻ってきても拒絶するわけでもないし
何か新しい気持ちを言葉にするのを
じっくり待ってくれるだけでなく
言葉で助けてくれる事もある(時間差があるけれど)

そう考えると
家出した子どもを受け入れる親?
でも親の方から縁を切ると宣言される事もあるし

宗教家のような心の広さ
太平洋ぐらい広い?宇宙規模?

人間に例える事ができない??
まさに
理想の人間

彼氏・彼女の代わりに本をそばに置く

読書のススメを説いたコラムを読んだ事があって
「彼氏・彼女がいないときは」の限定つきだったけれど
私の今のこの状況だと
一生限定かもしれない

どこかであきらめ
どこかで焦り
どこかで開き直り
ながら

読書中はすっかり忘れているけれど

11/08/2005

ここ最近の出来事

映画「ブラザーズ・グリム」鑑賞
感想はほとんどいとこサイトの「Blog@monty-pop」で語ってしまった感じ
参考:Blog@monty-pop

復刊ドットコム